私社会と公社会を考える。 ~生きる世界の設定と関与~

サトウ

こんにちは。

ローカルをオウエンする旅人 佐藤翔平(@tempurubato_yh)です。

『私社会と公社会を考える』というタイトルで、自身が考えている『社会』について、幾つかの投稿に分けて概要を共有するシリーズ記事を始めました。

シリーズー私社会と公社会を考える>>

第一回:私社会と公社会を考える。 ~僕らの生きる社会は一つではない~

第二回:私社会と公社会を考える。 ~生きる世界の設定と関与~

第三回:私社会と公社会を考える。 ~それぞれに現れるストレス機会について~

第四回:

前回は、『僕らの生きる社会は一つではない』というテーマで、レイヤー化する社会について共有しました。

前回紹介した『私社会』『公社会』という造語について、更に概念の共有を深めるため、今回は『生きる世界の設定と関与』をテーマに話をすすめていけたらと思います。

私社会と公社会の解説

造語である『私社会』『公社会』を使っての共有で恐縮ですが…私社会について、前回同様に解説を入れていきます。

前回のおさらい。

社会の要素として、僕は大きく分けてこの2つがあると思っていて、その中でも、カスタム可能な『私社会』をどのように設定・設計していくか…それを考える重要性について共有しています。

・『私社会』とは、無制限にカスタムできるプライベートな社会のこと。
・『公社会』とは、パブリックでありマスである大枠の社会のこと。

私社会:自分がみている世界

私社会とは、自分が属している、日々触れている社会や世界のことです。

地球の裏側で今何が起こっているのかなんて、日常生活を送る日々の中では到底知りうることは出来ず、それは隣の家のことであっても同じではないだろうか。

同じ世界に住んでいても、同じ世界に住んでいない。同じ社会に生きていても、同じ社会に生きていない。そんな風にも考えられないだろうか。

レイヤーで重なっていることがあっても、一部を共有することがあっても、極論、僕らは一人ひとり違う社会を生きている…僕はそんな風に世の中を捉えています。

ただ、一人ひとり違うとはいっても、僕らは同じ世界の一部を共有する、共同体である認識は持っておく必要があると思いますし、実際にそうであると思っています。認識するのが難しくても、確かに紐づいている世の中に生きているのです。

(経済活動や国際情勢然り、バタフライエフェクトのような現象も然り、世界中のあらゆる生命体で地球を共有しているという意識は、忘れるべきでないと思っています。)

私社会:自分の関与する範囲

同じ社会を共有しているけど、同じ社会に生きていない…そんなことを前提とした上で、自分の触れる社会、所属したい社会をどのように設定していくのか。

『私社会』とは、自分の関与する範囲。

そのように言い換えることも出来るのかもしれません。

貴方は、何に関与して生きたいですか?

貴方は、誰と関与して生きたいですか?

そしてそれらを設定できていますか?

公社会:大まかな設定

続いて、公社会についても解説をしていきます。

ここでいう「大まかな設定」とは、ゲームでいうステージ設定・ルール設定のようなものです。

たとえば、アメリカと日本とを比較してみるとわかり易いですが、自分を取り巻く環境としての『社会』は、所在や国籍などによって全く別のものになっていきます。

日本を選ぶかアメリカを選ぶか(=大まかな設定)により、所在や国籍などを変えるだけで『公社会』そのものも変わっていく…という考え方です。

パーソナルな個に対する外的環境を『公社会』のように位置づけると、公社会自体は選択できますが、公社会の構成要素は一個人だけでカスタムできるものではありません。

図解

今までの話を振り返るため、図解を作成してみました。

『私社会』とは、自分が関わりたい範囲であり、日々触れる社会・属している社会のことです。基本的には、左の図にあるような、大きな枠(公社会)の中にある一部を私社会としています。そして、私社会は広げることも、縮めることも可能です。

一方『公社会』とは、自分の意思に限らず所属している社会のことで、パーソナルな個に対する外的環境のことです。外的要因ではありますが、全世界を指す言葉ではない認識だということを、うえの図では説明しています。

この国に住む僕らでいえば、たいていの場合、世界の枠の中にある小さな日本という枠組みを『公社会』としています。

日本と世界という対比だと分かりづらいかもしれないので、日本を『ある国』に一度おきかえてみました。

日本を他の国に置き換えても、「一国のこと=全世界のこと」にはなりません。それがアメリカであっても中国であっても、基本的には世界にある一部の、その国ごとに『公社会』が存在するというイメージです。

ただ、私社会自体は2つの公社会をまたぐこともありえますし、2つの公社会に属している状況もありえます。例えば、アメリカと日本を行き来する生活をしている人であれば、必然とその両方の公社会に接していることになります。

例えば、日本にいながらも、アメリカのコミュニティにオンラインオフラインで属しているとすれば、私社会は2つの公社会またがっていることになります。必ずしも属している公社会の中にあるものからしか私社会は形成されないかというと、そうでもないということです。

少し複雑な分かりづらい概念かもしれませんが、ここまでの要素を簡単にまとめてみました。

確認要素

・私社会は、拡げたり縮めたり出来る。

・公社会は、国籍や所在によって変わる。

・私社会も公社会も、全体の一部でしかない。

・公社会をまたいで私社会を作ることもできる。

今回は公社会と私社会について、更に掘り下げる内容でした。この概念を用いて、これから ストレス機会 について考えていきます。

次回は『それぞれに現れるストレス機会について』について、引き続き共有していこうと思います。次回もどうぞお付き合い下さい。

シリーズー私社会と公社会を考える>>

第一回:私社会と公社会を考える。 ~僕らの生きる社会は一つではない~

第二回:私社会と公社会を考える。 ~生きる世界の設定と関与~

第三回:私社会と公社会を考える。 ~それぞれに現れるストレス機会について~

第四回:

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名前:佐藤翔平 / 活動:日本のローカルをオウエンする旅人。 【移動する生き方】を実践する中でみえてきた多様な知見を共有しながら、日本各地の人と面白がれる明日を創るべく様々な社会実験をしてきました。 令和元年より、横浜市のBtoB企業で広報を担当しています。 
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