『僕が旅にでた理由。』旅人 佐藤 翔平の自己紹介記事。

はじめまして、佐藤翔平です。
この度新たに satoshohei.com のドメインを使用したページ運営をスタートすることにいたしました。

いままでも様々なカタチで情報発信はしてきたので知って頂いている方もいらっしゃるかとは思いますが、改めて自己紹介記事からブログをスタートしていきます♪

一発目に書いた記事がいきなりの長文スタイルで恐縮なのですが…活動までの経緯や人生の一部を共有させてください。

プロフィール

佐藤 翔平 / sato shohei 移動する生き方。

1986年3月、横浜生まれ。日本のローカルをオウエンする旅人。

社会人時代、過労や心労により三年間うつ病を経験した過去を持つ。会社員を辞め病気が完治したタイミングで、固定概念の払拭や視野を広げるために生き方や環境を見直す旅に出る。

【移動する生き方】を実践する中でみえてきた様々な知見を共有しながら、一人ひとりにとって生きやすい社会構築について考える日々を過ごしている。

また移動する旅人の特異性に注目をし、日本各地の人とより面白がれる明日をめざし、様々なプロジェクトや社会実験を興している。

過去にMOVERSJAPANというメディア運営や移動式ゲストハウスHouse Caravanという活動などをしていました。

Jimmy Cliff(ジミー・クリフ)というアーティストの『You Can Get It If You Really Want』という曲の歌詞が好きです。

人生のハイライト

(全8800文字超:記事を読み終えるまで14分前後)

とても長いページとなりますが、今までどのような経緯を経て、今このような活動に至っているかという部分について赤裸々にまとめています。

お時間の許される方は、是非最後までお読み頂ければ幸いでございます。そして、感想を一言でも下さるのなら…大変励みになります。

【8800字の自己紹介】それではどうぞ。

誕生~小学生

生まれは横浜市と書いてあるが、厳密にはお隣の横須賀市の病院で生まれた。

ふたつ下に弟がひとりいる佐藤家の長男。小さい頃からお兄ちゃん意識が強く、まわりや親の顔色を伺って「こうした方が良いだろうな」と、場の空気を読むことに長けていた子供だった。

しっかりしていて大人しくて愛想がよくて…いわゆる良い子として育った。(人格ってこのくらいの時から形成されているんですかね?)

海から徒歩10分しないところに小学校があったので、運動会の時は怪我をしないようにと、校庭の石と共に落ちている貝殻を拾う…というのが恒例。(大学に入るまで何処もそうだと思っていた。)

小学生の頃はサッカー少年。夢は特になかったので、周りと足並みをそろえてサッカー選手といっていた。

中学生~高校生

これをいうと驚かれるんだけど、僕は中学生時代の記憶がほとんどない。楽しくなかったんだと思う。9クラスくらいある大きな学校に通い、塾や部活動に明け暮れていた毎日。不良にはならなかったけど一定数いる『ワル』は身近だった。

中学の部活動は軟式テニス部。なかなか強い学校の副部長を任され、朝礼では常に表彰されているような生徒だった。ただ勉強はというとそんなに熱は入らず、町の個人塾に行っていたが学区内で真ん中くらいの公立高校へ進学した。

(↑真ん中の髪染めてるヤリチ○野郎みたいのが当時まだチェリーだった僕です。)

高校では硬式テニス部。このときも副部長。中学生のときの惰性でそこそこ強かったのだが、怪我やモチベーションの上がらない時期もありそこまで熱は込められなかった。

高校の時はオール4に近い成績。文系のクラスだったから理系がちょっと弱かったけど、特段成績の悪い科目はない生徒だった。音楽も美術も体育もそれなりに出来た。(でも個性がないことが劣等感だった。)

人生の目標のようなものもなく高校時代も勉強にあまり興味がわかなかったので、みんなが受験勉強している間にバイト。推薦で大学に入った

…将来のことなんて全然考えてなかったよ。

(ゼミの先生・中央 の右にいるのが大学2年生の僕)

大学生時代

大学は都内の大崎駅近くにある立正大学。経営学部経営学科。特に目的を持っていたわけではなく、なんとなく推薦で行ける学校で経営の勉強をしてみようかと消去法で選んだ感じだった

アジア料理屋でキッチンをしたりセレクトショップの販売員をしたり、アルバイトをしながら大学に通う一般的な学生だった。

マーケティング専攻のゼミに入り、3年時にはゼミ長を経験。五反田商店街の活性化プロジェクトに関わらせてもらう。ゼミ長というリーダー体験は様々な知見を蓄積できるいい経験だった。(ゼミは熱量をもって取り組めた活動だったな。)

周りがスーツを着始め就職を開始。自分もあと追いで真似をするように就活開始。だが、人と同じことは好きではなかったので、販売員の個性を活かして胸ポケットにチーフを入れたり万年筆を忍ばせていたり鼻につく就活生だったと思う。

空間装飾や企画提案など、自分のセンスやアイデアを活かす仕事に興味があったのだが、特に強いこだわりや目標があったわけではなかった。

戦略的に物事を考えることリスクヘッジをすることが得意だった僕は面接に強く、早い段階で幾つか内定を頂けたので、その中で一番興味のあった『空間装飾』『ディスプレイ』の仕事が出来るイベント施工会社に新卒で入社することにした。

社会人時代

新卒で入ったイベント会社は、創立50年を越える業界では古い会社の一つだった。

僕らが採用された2008年は、初めて新卒採用をし大きな転換を迎える一期生にあたる年だったので、社員みんなが手探り状態であり、現場と経営陣の方針が合わなかったりトラブルも多かった。

僕らは僕らで初めて社会人となるわけで右も左も分からず、基本的には上司や会社の指示やアドバイスを頼りざるを得ない未熟な状態。

「サラリーマンはこういうものだよ」

「みんな大変」「社会ではこれが当たり前」

そんなことをいわれながら毎日のように残業は続き、周りもそれが当然になり、それに異を唱えることがむしろおかしいことなのだと思うほどになっていた。

当時は、どこまでやっても若さで乗り切れると思っていたし、それなりに結果や評価にも繋がっていたので、そのまま無茶を続けてとりあえず幹部を目指すか、それとも転職か、そんな風に思っていた。仕事は楽しかった。

そんな矢先、当時お付き合いしていた同期入社の彼女がうつ病になり、自分自身の人生も一変することになる。社会人2年目から3年目に差し掛かる時期だった。

AKuptsova / Pixabay

うつ病時代A「うつ病は任せて!?」

彼女がうつ病になった。自分の中で価値観を見直す一つのタイミングがやってきたのだ。

彼女がうつ病に…といっても、結婚していたわけでもないし同棲もしてなかったので、なかなか具体的に関わることはできなかった。

ただ…

自分にはうつ病に対して様々な想いがあった。

うつ病なら俺に任せて!!

一つは、うつは任せて!!という気持ち。

実は僕が大学生の頃、弟は当時高校生でうつ病&不登校になり、引きこもる生活を送っていた…同じ屋根の下でそれをみていたので、うつに対しての免疫や多少の知識はあった。

そして、父親も慢性的にメンタルシックをもっていて、同じく僕が大学生の頃、精神病棟へ入院するほど事態が悪化したこともあった。

家族に二人もうつ病になった人間がいたので、彼女や彼女のご家族に対して多少なりともサポート出来ると思っていた。

うつ病かぁ…心配だな…。

一つは、うつ病に対して不安に思う気持ち。

高校時代の友達が卒業後うつ病で自殺をしてしまったり、同じような話を他の友人からも聞いていたので、自分が最も愛している目の前の人が突然この世からいなくなったら…と思うと苦しくて仕方なかった。

無休状態で働きながら彼女と連絡をとる日々に自分も限界を感じ上司や役員に現状や想いを伝えた。とりあえず頭を冷やせと三日間だけ強引に休みをもらったのだが、その二日目からベッドから起き上がれなくなった。

あろうことに、僕もうつ病になったのだ。

自身のうつ病を隠しながら彼女への看病を続け、半年もすると彼女は回復し復職・転職を考えられるようになったので、そこではじめて自身の病気を告げ、僕自身も僕自身の病気と向き合う生活をスタートさせた。

<<ここら辺のことに関しては相当長くなるので、また別の機会に話が出来たらと思います。>>

うつ病時代B ~フルボッコの数年~

僕自身のうつ病と向き合ってこなかったのは、僕よりも彼女のほうが命の危険性があると思っていたからで、僕は直ぐにでも回復できるものだと思っていた。

…が、彼女は半年で回復したのに対して、僕は全快(うつは治るという表現がされない)と診断を受けるまでに三年もの月日を費やしてしまったのだ。

・東日本大震災の暗闇が訪れる
・彼女に突如別れを告げられる
・誰にも頼れない家庭環境
・薬の副作用の苦しみ
・体力低下による衰弱
・復職出来ず転職も出来ず
・周りの偏見や自己の自意識過剰状態
・従兄弟(19) の自殺
・祖母や叔父の死

ただただ苦しさが続いた3年間だった。

自身の病気を省みず彼女に尽くした半年間…そしてその半年の看病の先にあったのは『別れ』だった。

彼女から告げられた別れもとてもショッキングな出来事だったが、従兄弟の首吊り自殺は、群を抜いてとんでもなく衝撃を受けた。小さな頃から共に育った身内だ。

死んでしまった従兄弟を目の前に、そして残された遺族を背に、『君のためにも生きる。』と そこで小さく誓った。

フルボッコされたような三年間で

自分の価値観は大きく変化した。

「何故うつ病になってしまったのだろう?」「どうすれば自殺する人を減らせるだろう?」「どうすれば暗雲立ち込めた日本に笑顔が戻るだろう?」「生きやすい世の中ってなんだろう?」

そんなことを突き詰めていくような日々が訪れた。

とにかく学んだ一年間

・読書250冊
・映画300本
・ブログ1日3本
・ヨガやマインドフルネス

当時、薬の副作用や体力の低下により、外出もろくに出来なかったので、そんな問題意識を頭の片隅に置きながら、その時家で出来ることに専念した。

今まで本を読む習慣なんて皆無だったが、年間250冊を越える本を読み、300本近い映画作品を鑑賞し、とにかく視野を広げたり学ぶ時間にした。

そしてまたブログを勉強して発信を始めた。

今まで学ぶことに熱が込められなかった僕が、自分の意思や目的を持ち、独学で学ぶことをし始めたのだ。これは大きな変化だった。

様々な情報や思考に触れるなか、『生活習慣』・『生活環境』・『思考や思想の欠如』の3つが、自身のうつ病のトリガーになっていたこととして考え抜き、本で学んだことを発信しながら自分の次の一手に対して準備を備えた。

僕が旅に出た理由

・自己蘇生を通じたメッセージ
・暗い日本の明るい話題提供
・自身の情報を体験に変える旅
・生き方や働き方の視野拡張
・何とかなる日々の体言

自転車を10分漕ぐだけで目眩がして倒れていた元うつ病の僕が、うつ病の過去を公表しながら、暗いニュースばかりが続く日本で、様々な暮らし方や働き方を実践している人たちに出逢いながら、日本の魅力や面白さを伝えることをしたい。

また本で読んできた「情報」を「体験」に変える情報を血肉に換え腹に落とすために。

同じように病気で苦しんでいた人たちや、様々な理由で自由に動くことの出来ない同世代の仲間たちの何かになれたらと思い… 自転車日本一周の計画を立てた。

目眩がして倒れている段階から、

想いやビジョンだけを共有して発信を始めた。

また、東日本大震災の津波をニュースを通じてみていて、家も職場も財産も全てを流されてしまった人たちは、今後どのように生きていくのだろう、そして僕自身同じような状況になった際に耐えられるのだろうか?そんなことも考えた。

家のある生活仕事のある生活お金に余裕のある生活、安定していた日々から転げ落ちた人間として、全てを手放してどこら辺まで幸福感を感じられるんだろう…と、そんな問いに対する答えも、体感して知りたかった。

何故なら、幾ら頭で考えてもその時の心境なんて分からなかったからだ。

【リハビリ生活】

衰弱していた身体や薬に侵されていた自身の体質改善やリハビリ生活を半年以上に渡り実践し、移動距離や活動時間を少しずつ増やし、旅をスタートするその日に合わせてコンディションを整えていった。

想像だけでは足りなくて…。毎日目標と目的のために行動をした。そのときに出来ることを出来る範囲で続けた。そして、出発のその時に備えた。…

旅人時代A 自転車野宿放浪生活

人生のレールを踏み外し時間をもてあました僕は、なんとなくやりたいと思っていたことを自身で見つけた。

…それが『旅』だった。

いつかやりたい…じゃできないことは知っていたが、旅に対してそこまで熱量がなかったので、あと回しあと回しに考えていた。

ただ、今後結婚して子供が出来て…と色んな想定をしたときに、今ほど絶妙なタイミングはないのではと思い、旅の計画を始めた。

実は当初イメージしていたのは世界一周自転車旅。

ただ、さきの『うつ病時代B』の章でも書いたように、ただの好奇心で考えていた旅に、何か出来ないかなと付加価値や目的のような「旅に出る理由」が想いとしてのっかってきたので、日本国内を巡る旅に切り替えることにした。

MOVERSJAPANの誕生

世界一周を日本一周に切り替え、書籍を作るための素材集めをメディアでリアルタイムに発信する活動に切り替え、

日本語で発信することを英語を使って同時発信することに切り替え…と、日が経つにつれ状況が二転三転してきた。

<<ここに関してはまた機会があればお話したいと思います。>>

計画が進むにつれて一人では出来ないアクションになっていったので、MOVERSJAPANというメディアを立ち上げ、数人のチームを組んで一つのメディアを進める方法をとっていった。

英語への翻訳は帰国子女の友人や海外に住んでいる友人、サーバー管理は良くして下さっていた同世代のIT社長、その他ライティングを手伝ってくれる人が数名と、現地から発信をしてくれるご当地ライター。

最大10人くらいの方にボランティアのような有志で協力を頂き、かれこれ2年半くらい運営した。(現在サイトは閉鎖)

仲間や協力者に恵まれ、一人の旅をひとりで終わらせないことに、そして一人で達成できないことにこそ価値や面白さを感じる体験をした。

とても貴重な体験になったし、その時の経験が今にも繋がっていると思うと本当に感謝しかない。

560日間にわたる自転車旅

日本ではテントが張れない場所が多いため、ある時は公園で、またある時はスーパーとスーパーの間で、コンビニの裏や開けた駐車場の真ん中で寝起きをした。

基本的にはテントも張らずの野宿だった。

飲み水は公園の蛇口から水筒に汲み、洗濯も外で手洗いして干す。自炊できる場所では煮炊きをし、出来ない場所では半額に値下がりしたスーパーの惣菜やお弁当を食べる日々。

ただ、家も職もなく、お金もそこまで持っていない見ず知らずの僕を日本各地たくさんの方が助けてくれ、応援してくれ、励ましてくれた。

ある人は一週間ものあいだ自宅に泊めて御飯や温泉を振る舞ってくれ、またある人は行きつけのスナックに連れて行ってくれ、ある人は仕事を紹介してくれたり、御飯をご馳走して下さったり…たくさんの恩を受け続ける体験を幾度も繰り返した。

そして僕はそんな日常生活や体験を自分の中で噛み砕いて発信をし続けた。NAVERというサイトに遊び半分で寄稿したまとめ記事がバズったこともあり、一部の人たちに注目をして頂ける旅人となった。


かれこれ30万PVを越える記事になった。

出逢った方々のことやローカルな魅力や面白さ、様々な生き方・働き方があるということや多様性のシェアは情報として発信出来たけど、それで具体的に何が変わったのか…ということに対しては疑問が残った。

情報や知見の共有だけではダメだ…。

旅人時代B情報共有から体験共有へ

旅をはじめて500日を過ぎたあたり、僕は8月の秋田にいた。

情報を越える実体験の共有がしたい。

漠然とそんなことは考えていたのだけど、自転車旅をしながらメディア運営もし、SNSで情報収集をしたり近況報告をしたり決して暇な旅ではなく、夜遅くなってから寝床を探す生活を繰り返していた。

そんなある日、秋田県滞在中に台風のような猛烈な嵐の夜が訪れた。

道の駅の軒下にテントを張って非難したのだが、風がひどくて外には一切出れず、そしてテントもたためず、雨も滴ってきてテントの中が水浸しになり、真夏なのにどんどん体温も下がり…恐怖を感じた体験をした。

道の駅だったので多数のキャンピングカーが停泊していた。嵐の日も、嵐が去ったその翌日も、何台ものキャンピングカーがそこにあった。

たくさんあるうちの一台で良いから、

宿泊施設のように開放されていたらなぁ。

そんなことを思い、もしもキャンピングカーが宿泊施設だったらということを想像していたら、爆発的に面白くなってきてしまった。

最高な絶景&日の出があるところへ移動し、日の出と共に朝目を覚まし、

夕焼けのみえる場所でお風呂に入り、満天の星空で少しのお酒を飲み、普段泊まれない非日常の場所で星を見ながら眠りに着く…

宿泊施設なのに様々な体験が出来て、おススメのスポットや思い出の場所に宿泊施設がそのまま連れて行ってくれる…

これはたまらなすぎると思いSNSで呟いたところ、僕の妄想を色んな人が面白がってくれた。

一つの妄想投稿のまま終わらせるのが非常にもったいなかったので、すぐさまグループページをつくり、『移動式ゲストハウスハウスキャラバン』を実行に移すことを目的としたメンバーを集めた。

移動式ゲストハウス HouseCaravan 

グループページには100人を越えるたくさんの方が参加してくれた。その中で様々な情報交換をし方向性を決め、構想から半年後にはスタートする段取りを組んだ。

実際のところ初めてのクラウドファンディングは大ゴケし、出発日までに納車も間に合わず、クルマを塗装するライブペイントイベントも出来ず…かなりグダグダなスタートにはなったが、一応プロジェクトは始動できた。

(ハウスキャラバンのプロジェクト詳細に関しては、詳しくは上のFacebook pageで。あとは、また少しずつアーカイブ記事を書いていこうと思っています。)

2016年3月から2017年2月末までの一年間、ひと月×12ヶ所を目安に、地に根を張る活動を目指している方々の地域に滞在させて頂き、情報発信やマンパワーでのお手伝いをさせて頂く旅をした。

乗り降り自由の車&住み開き拠点を各地で一時的に作りながら、移動参加型コミュニティとして日本各地を回遊し、移動することや旅をする人が町と関わることについて、社会と関わることについて、その可能性や面白さを社会実験していた。

情報共有から体験共有へ。

一緒に旅をすることやお手伝いをし同じ釜の飯を食べること、繋がりを可視化させながら色んなヒトコトモノを紹介しあうことや各々の体験や想いを語り合うこと…とにかく日常のあらゆることをシェアし合う生活で生まれたものはとても多かった。

衝動的にはじめた一年限定のプロジェクトだったので、反省すべき点や上手くいかなかった点も多々あったのですが、やってみなければ達成できなかったことや体験もとても多く、たくさんの良い出逢いにも恵まれた。

ハウスキャラバンの活動に関わってくれた方々にも本当に感謝している。

<<ここに関してはまた機会があればお話したいと思います。>>

今現在とこれから

(…随分と長くなりました。文字数は7500文字を越えました。ここまでお読み頂き本当にありがとうございます。)

ハウスキャラバンの活動では時間軸に制限をつけ、一つの町に1ヶ月という短い滞在スパンで動いていた。

何かをやるにしても1から10まで関わることは出来ず、3-4のあいだとか、5-7までとか…その一部を共有することしか出来なかった。

時間軸の制限があったからこそ多くの地域と関われたし、それでも2・3日の短い滞在ではなかったので、上っ面をなぞるだけの旅にはならなかった。

そういったメリットもあったけど、もう少し長く滞在していたら、もっと貢献できることもあったなぁとか、遊びに来てくれる参加者も参加しやすかったかなぁとか…そんなこともまた疑問として出てきたので、

一度時間軸を取っ払ったカタチで、関わってくれる先はないかと活動スタイルをまた少し変え、違う社会実験を始めました。

旅人インレジデンスの提案

ここに書いた旅人インレジデンスというのがその活動のベースにあるのですが、地域活性のプロジェクトにあたる際に、ただ定住者である移住者の誘致をするのではなく、

離れる前提の旅人を一時的に住まわせてみるような動きも、一つの事例として面白いんじゃないかなと思い、旅人の特異性を面白がれる地域を探していました。

その町の【要素】を持ったうえで、また違う町へ行ってもらう。蜜蜂や蝶のような働き。

また蜜蜂や蝶のような【関係者】を増やすことを町が意識することで、町に様々な新しい循環が生まれ、それが長い目でみると移住者誘致や産業維持や新しいアイデアや販路や…様々なものに繋がっていくのではないかという仮説。

旭川住み開きシェアハウス

そんなことを考えていた矢先に、たまたま「一緒に活動してみないか」と声をかけてくれた旭川のWeb制作会社と共に、住み開きシェアハウスのコミュニティづくり大作戦を決行した。

旭川のシェアハウス生活では、旅人のみならずブロガーさんや情報発信者の方々の受け入れも積極的に行い、お手伝いをしてくれる人に対しては滞在費無料のプランを採用したり、

旭川に関わってくれる関係人口を増やすこと、遊びに来る人や旅をする人のハードルを下げることに注力しながら、旭川になかったコミュニティを創造し、また旭川の人たちとも連携を取りながらヒトコトモノの流動や循環を意図とする取り組みにまい進した。

結果として、地域の人とも、地域の外の人とも、旭川を面白がるコミュニティが出来てきていたのだが、小さな違和感や問題が心に引っかかり蓄積され…最終的には活動を中断して戻る選択をした。

今回感じた確かな手ごたえと改善点と向き合い、今後も自分の面白がれる取り組みや社会実験に向かっていけたらと思っている。

常連さんをかき混ぜてつくる未来

上にリンクをはったブログ記事『go-hiiki ~常連さんを圧倒的に贔屓する~』に詳しいことは書いてあるのだが、応援してくれた人、贔屓してくれる人に対してどんどん還元していける仕組みを採用していきたい。

誰と何処で何のためにどういきるのか。

そしてこの問いに対して、常に真摯的に向き合うことを続けたい。

自らの選択に納得感を感じながら、

今日もワクワクする一日を送って生きたい。

サトウ

一緒に面白い明日を作っていきましょう♪

ありがとうございました!!

佐藤 翔平

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名前:佐藤翔平 / 活動:日本のローカルをオウエンする旅人。 【移動する生き方】を実践する中でみえてきた多様な知見を共有しながら、日本各地の人と面白がれる明日を創るべく様々な社会実験をしています。  
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