『徒然草』と鎌倉時代のミニマリスト。

こんにちは。

ローカルをオウエンする旅人 佐藤翔平(@tempurubato_yh)です。

今回は、徒然草についての話です。

偶然ですが、こんな記事をみつけたので先に紹介させて頂きます。

▼なぜ『徒然草』はスティーブ・ジョブズに影響を与えたのか? 700年前の古典をわかりやすい意訳で読み解く  

(ほほぉ、ジョブズと徒然草ですかー。)

改めて古典『徒然草』を読んでみると、今の時代にも通ずる部分が少なくなく、そもそも『徒然草』自体が、エモいツイートを集めて、ブログや本にしたようなものなんじゃないかなーとか、この時代に当てはめて考えてみると、なんとも面白かったりします。

なかでも『第九十三段』が僕的に刺さったので、今回合わせて紹介できたらと思います。

古典 徒然草

日本人であれば、ほとんどの人が『徒然草 (つれづれぐさ)』を知っていると思いますが、そのなかで全文読んだことある人となると、どのくらいいるものなのでしょうか。

僕は全文しっかりと読んだ記憶がなくて、冒頭の部分くらいしか知りません。ウィキペディアで『徒然草』について調べると、こんな感じで紹介されていました。

徒然草とは

『徒然草』(つれづれぐさ)は、卜部兼好(兼好法師、兼好。吉田兼好は江戸期の俗称)が書いたとされる随筆。清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と合わせて日本三大随筆の一つと評価されている。

鎌倉時代末期、1330年8月から1331年9月頃にまとめられたとする説が主流であるが、数多くの説があり定説はない。中年期の兼好が著したことになるが、若い時代に書いた文章も含まれているという説もある。 兼好が書いたとする明確な証拠は何一つない。- wikipedia 徒然草

日本三大随筆の一つなんですね。

日本人として、 “未だに全篇通じて読んでいない事が恥ずかしい僕” みたいな人は少なくないはずですが、序段くらいはご存じの人も多いのではないでしょうか。

序段

<序段>
つれづれなるままに、日暮らし、硯(すずり)にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

「あぁ、これこれ!!」ってヤツですよね。

現代訳をいれると、このような感じみたいです。

<現代語訳>
ひとり居て手持ちぶさたなのにまかせて、一日中、硯を前にして、心に映っては消え、映っては消えるつまらないことを、とりとめもなく書きつけると、妙に気ちがいじみた心地がする。

今の時代でいう、PCやスマホにかじりついてる、ツイ廃みたいな状態ですかね? 少なからず『インスタ映え』なんて言ってるタイプではなさそうです。

※ ツイ廃とは、「Twitter廃人」の略語である。 概要 Twitterに没頭しすぎて、日常生活に支障を来しているユーザーのことを言う。

第九十三段

冒頭でも触れた『第九十三段』の一編が、個人的に読んでいて特に刺さりました。

<原文>
されば、人、死を憎めば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しびを忘れて、いたづがはしく外の楽しみを求め、この財を忘れて、危うく他の財を貪るには、志満つ事なし。(第九十三段)

現代訳ではこのようになります。

<現代語訳>
自分が生きて今存在しているという、これに勝る喜びがあろうか。死を憎むなら、その喜びをこそ日々確認し、生をたのしむべきである。

なのに愚かなる人びとは個の人間の最高のたのしみをたのしまず、この宝を忘れて、財産だの名声だのというはかない宝ばかりを求め続けているから、心が満ち足りることがないのだ。

なんかもう、人生の本質的なものをズキュンとされたような感覚になってしまいました。(個人的な意見です。)

おわりに

今回序段と一編の紹介のみでしたが、改めて『徒然草』について触れてみました。読み直してみるのも、とても面白そうです。

中でも今回紹介した『第九十三段』は、僕にとってとても共感の出来るものでした。

僕自身も吉田兼好と同じような考え方を持っていて、幸福はそれぞれの “感度” によってのみ与えられるものだと思っています。

幸せかどうかは、モノやヒトが決めるモノじゃなく、自身のココロが決めること。身分や地位が決めるものでもない。 もう一度、この感覚を理解する必要があるのではないでしょうか。

モノがなくても幸せになれる。

人が 幸せ?と聞こうが、幸せは自分の心のみが決めること。お金があっても不幸な人は不幸だし、大きな家や高価な車は幸せとは直接の関係がない “モノ” にすぎない。

そんな一般的な常識や幻想を追い求めるより、”今生きている幸せ” にフォーカスする毎日が送れたほうが、”今すぐ” 幸せになれる。

幸せの尺度。

幸せの感度が上げられれば、幸せの尺度は広がる。幸せだと思えるボーダーが下がることで、今まで普通だったことさえ “幸せ” に感じる。これは幻想や錯覚ではなく、思想の成長や成熟を意味すると僕は思っています。

そこに映るもの。

古典を鏡のようにして、そこに映ったものをどう捉えていくのか…そんな風に向き合ってみるのも面白いですね。

自分と全然違うものが映っているか、近いものが映っているか…そんなジャッジを繰り返すだけでも、思考は整理されていくような気がします。それが700年も前の古典であっても。

※追記:同じようなことを既にA-1さんが記事にしてました。笑

サトウ

ミニマリストな人たちと、幸福の構造が近い気がしました。

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